【日本語版満洲国臨時政府ウェブサイト】

今日の満洲国

復光二年七月一日 我々は香港で七一反共大デモを参加しました

復光二年六月四日 天安門虐殺の二十周年です。我々が最大の譴責を発表しました。
復光二年五月三十日 当政府がアメリカ支部をできました

復光二年五月三日 総理ニュウグールー様は、六四大虐殺の二十年周年まえに、六四大虐殺についてコメントを発表しました(中国語)
復光二年二月十四日 当政府がタタラ。ゴウ様に駐台大使を任命しました、台湾仕事を担当する
復光二年一月二十六日 当政府が南京事件調査リポート(中国語)を出しました
復光元年十二月三日 当政府は新しい内閣成員を任命した:

ニュウグールー。ミンビョン

イェへナーラー。ウェイジュン

アダーム。ジェイサン。トーニス

山田一成

復光元年十月八日 当政府はボイコット中国の運動に応えるため、特に「反対中国共産党の作文の試合」を行って、詳しい情況は単張を参照してもらって、締め切り日は復光元年の11月30日です

復光元年九月二十九日 本政府の日本支部は反中共デーに参加して、 主席は演説をします

復光元年九月二十五日 我々は大清復国組織との関係を確立します。
復光元年九月十一日 ボイコット中国運動のために、中国政策を修正します。
復光元年九月三日 日本反中国組織九月二十九日の反中国デイデモを支持します。
復光元年九月二日 満洲国臨時政府の日本支部は設立します。
復光元年九月二日 私たちはボイコット中国運動を始動します、そして、鈕牯録首相は反中国のスピーチを述べます。
 

満洲国(まんしゅうこく)とは?

「眠れる獅子」清朝が目覚めないまま崩壊し、中国大陸が混乱の極致にあった二十世紀前半。清朝の「ラストエンペラー」愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)と、日本の陸軍である関東軍の思惑が絡み合って、西暦1932年、満洲民族の故地(満洲州。略して満州(笑))に建設された実験国家が満洲国である。
当初は共和制を採用し、溥儀を執政(しっせい。国家元首)として迎えたが、二年後には皇帝に即位。満洲民族出身の皇帝として複辟した。とは言え、清朝時代のような専制君主制はもはやとり得ず、立憲君主として再出発することとなった。最高行政官である国務総理大臣には鄭孝胥(てい・こうしょ)が選ばれた。

西暦1945年、日本が敗戦すると、ソビエト連邦と中国とによる満洲国の分捕り合戦が始まった。国防担当の関東軍が機能しなくなっているので、皇帝は首都を放棄して退位。満洲国政府の解体も決定された。皇帝と官僚達はソ連に拘束され捕虜となった。満洲国は最終的に、中華人民共和国に呑噬され現在に至る。

しかし満洲民族が消滅したわけではない。

西暦2004年、満洲国臨時政府が成立。満洲国の再建を目指す。

 

国家理念

満洲国は「五族協和の王道楽土」を理念として公式に掲げる。アメリカ合衆国をモデルとして建設され、アジアでの多民族共生の実験国家であるとされていた。
五族協和とは、満洲民族・漢民族・蒙古民族・日本民族・朝鮮民族の五族が協力し、平和な国造りを行うこと。満州民族と漢民族、モンゴル民族からなる「満州人、満人」による民族自決の原則に基づき、また、満州国に在住する主な民族による五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人)を掲げた国民国家であることを宣言した。

王道楽土とは、「王道」という方法で理想国家(楽土)を建設すること。欧米のアジア支配の方法を「覇道」と見て、これに対するアジアの理想的な政治体制を「王道」と位置付けた。
満州民族と漢民族、モンゴル民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づき、また、満洲国に在住する主な民族による五族協和を掲げた国民国家であることも宣言された。

以上の理念・理想とは裏腹に、当時東アジア最強の軍隊であった日本軍が満洲国の国防・治安のみならず、内政にまで事細かく干渉したため、官吏・国民の不満が募った。満洲国自身の国軍は帝政移行後の西暦1932年四月に成立したが、関東軍の補助部隊の立場を超えることはできなかった。
五族協和と言いながら創業時の舵取り役を一手に担った日本は、東アジアでいち早く近代化(欧米化)を成し遂げた実績を遺憾なく発揮した。開発独裁とも言える近代的統治の導入による発展は猛烈であり、短期間にアジア第二の工業国にまで成長した。
拙速もまた、時代の要求だった事に思いを致すべきである。満洲国の発展は、欧米からの投資にも大きく負っているのだから。

歴史

当時、内戦の続く中国からの漢人や、新しい環境を求める朝鮮人などの移民があり。また、1931年9月、満州事変発生、たから、翌1932年2月に、張景恵を委員長とする東北行政委員会を組織、2月18日に「党国政府と関係を脱離し東北省区は完全に独立せり」と、中国国民党政府からの分離独立宣言を発する。元首として清朝の最後の皇帝愛新覚羅溥儀を担いで満州国執政とし、1932年3月1日に満州国の建国が宣言された(元号は大同)。首都には長春が選ばれ、新京と改名された。

愛新覚羅・溥儀陛下

その後1934年3月1日には溥儀が皇帝として即位し、満州国は帝制に移行した、元号は康徳に改元。首相には鄭孝胥(後に張景恵)が就任した。

満洲国皇宮

国務院


1941年12月8日の真珠湾攻撃後に、日本と歩調を合わせて連合国に対し宣戦布告したものの、日本軍がアメリカやイギリス軍と戦っていた南方戦線からは遠かった上、日ソ中立条約が存在していたためにソビエト連邦の間とは戦闘状態にならなかったため平静が続いた。


1945年4月26日まで有効だった日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告した。まもなくソ連軍は満州国に対しても西の外蒙古(モンゴル人民共和国)及び東の沿海州、北の孫呉方面及びハイラル方面、3方向からソ満国境を越えて侵攻した。

1945年8月15日の第二次世界大戦の日本の敗戦により満州国は崩壊する。その6日前の8月9日に侵攻してきたソ連の支配下となり、次いで、満州地域は中華民国の国民党政権に侵呑され、国共内戦を経て中華人民共和国が統治する事になった。

陛下たちはソ連の進撃が進むと新京を放棄し、朝鮮にほど近い通化省臨江県大栗子に避難していたが、8月15日の玉音放送によって戦争、2日後の8月17日、国務院は満州国の解体を決定、翌18日には陛下が大栗子の地で退位の詔勅を読み上げ。

なお陛下は退位宣言の翌日、通化飛行場から飛行機で日本に逃亡する途中、奉天でソ連軍の空挺部隊によって拘束・逮捕され、通遼を経由してソ連・チタの収容施設に捕虜された。

2004年、満洲国臨時政府が成立。目標は満洲の復国です。

行政区分

新京特別市 
吉林省 
四平省 
通化省 
間島省 
龍江省 
浜江省 
牡丹江省 
東安省 
三江省 
北安省 
黒河省 
安東省 
奉天省 
錦州省 
興安北省 
興安東省 
興安南省 
興安西省 
熱河省 

人口

1908年の時点で、満州の人口は1583万人だったが、1941年には人口は5000万人にまで増加していた。

政治

満州国政府は、国家元首として執政(後に皇帝)、諮詢機関として参議府、行政機関として国務院、司法機関として法院、立法機関として立法院、監察機関として監察院を置いた。

国務院には総務庁が設置され、官制上は国務院総理の補佐機関ながら、満州国行政の実質的な中核として機能した。

外交

1932年に国際連盟で否認されたとは言っても、その後承認を行った国も多く存在し、第二次世界大戦の終結以前に満州国は日本の同盟国、中立国など、以下の23ヶ国の承認を受けていた。

大日本帝国 
中華民国南京国民政府
タイ 
ビルマ 
フィリピン 
蒙疆連合自治政府(内モンゴル) 
自由インド政府 
ドイツ 
イタリア 
スペイン 
バチカン 
ポーランド 
クロアチア 
ハンガリー 
スロバキア 
ルーマニア 
ブルガリア 
フィンランド 
デンマーク 
エルサルバドル 


軍事

日満議定書によって関東軍の駐留を認めた。満州国の国軍は、1932年4月15日公布の陸海軍条令をもって成立した。

経済

政府主導・日本資本導入による重工業化、近代的な経済システム導入、大量の開拓民による農業開発などの経済政策は成功を収め、急速な発展を遂げるが。

我国と各国の経済関係

満洲国臨時政府

そこで独立を勝ち取る為、西暦2004年、我々は満洲国臨時政府を設立した。我々の国家理念は民族が調和する国家であり、「王道楽土、五族協和」のスローガンを受け継ぐ。
満洲国はアメリカ、カナダ、オーストラリアのような移民国家である。そこには民族紛争や歴史認識論争などなくなるだろう。
我々の目標を以下に掲げる。

  1. 満洲国再興。独立運動の入念な準備。
  2. 全満洲民族を糾合し、独立の為に戦う。
  3. 国際機関と諸外国に働きかけ、満洲国独立の支持を得る。
  4. 武力保持の準備を行い、満州における中国の植民地支配を打倒する。
  5. 国力を振興して、国際機関や国連に加盟する。
  6. 満洲文化の振興。




国名

満洲国(満州国に非ず)

首都

新京

面積

1,133,473km²

我国の領土は満洲国のそれを引き継ぐ。地図の赤い部分である。この領域は満洲民族の故地を基礎として、清朝時代の条約や話し合いで確定を図ってきたものである。しかし今なお、ロシアとの係争地域が存在する(ピンク色の部分)。
面積は 113万3473平方キロメートルに及ぶ。これは独仏を合わせた程の広さであり、東アジアで一二を争う大国である。

人口

36,933,206(1937年)

元号 復光(ふくこう)を用いる。(西暦2008年は復光元年である)
かつての満洲国では以下の元号を立てた。


大同(西暦1932年3月1日-1934年2月29日) 


康徳(西暦1934年3月1日-1945年8月18日)

宣統 (西暦2004年-2008年)
 

元首(皇帝) 

 

愛新覚羅・孝傑陛下
(1987/2/3-)

国旗

五色旗
黄:満洲民族、赤:日本民族、青:漢民族、
白:蒙古民族、黒:朝鮮民族、と言われる。

国章

蘭花御紋章。政府の旗としても使用される

国歌

Listen

公用語

中国語、満洲語

 

総理大臣

鈕牯禄・愍鎊

内閣

復光元年十二月三日、当政府は新しい内閣成員を任命した:

ニュウグールー。ミンビョン

イェへナーラー。ウェイジュン

アダーム。ジェイサン。トーニス

山田一成

当政府の本部

台湾支部 タタラ。ゴウ

台湾支部の外

アメリカ支部 アダーム。ジェイサン。トーニス

日本支部 山田 一成
 
小林俊之
 
山瀬和彦
 
小林武士
 
憲法 CHARTER OF RIGHTS AND FREEDOMS OF THE PEOPLE OF THE MANCHUKUO (英語)

政府機関

皇室

財務省満洲銀行の総取締:察拉・珩荇

記念品販買国営会社興亜商事総取締:烏雅・哈姆

外務省葉赫那拉・慧君

満州国駐台湾大使

民間機関 港満関係促進会

日本反中国組織

大清復国組織

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